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水天宮から江戸橋へ。鎧の渡しの火の玉と兜神社の伝承、江戸橋の「巨大船型ビル」(後編)

Trivia おすすめコース

水天宮(安産祈願の神様)~小網神社(強運をもたらす神様)~鎧橋(江戸時代の火の玉目撃談)~日証館(渋沢栄一の旧居跡)~兜神社(藤原義家と平将門の伝承)~東京証券取引所~日本橋ダイヤビルディング(船型のビル)~江戸橋

水天宮から江戸橋への散歩道。日本橋蛎殻町、日本橋小網町と地名に「水」を感じる町を歩きます。このあたりはかつて海が近かった。その名残でしょうか。

見どころは兜町界隈。平将門や源義家の伝承、江戸を騒がせた火の玉、渋沢栄一の足跡など興味深い歴史の数々があります。何も知らずに歩けば地味に見える街。でも、そこに横たわる歴史は面白い。

前編はコチラ

巨大な火の玉は隕石だった

日本橋川に架かる鎧橋(よろいばし)へ。架橋されたのは明治5年(1872)で、江戸時代は橋がなく、渡し舟を利用する鎧の渡しと呼ばれました。

明治24年(1891)の絵を見ると、鎧橋の名にふさわしい鉄製の力強い橋であることが分かります。橋を渡った先に何やら変わった建物が見えますが、これは渋沢栄一が設立に関わった第一国立銀行です。

江戸時代の鎧の渡しについては興味深い話があります。それは文化14年(1817)のこと。この渡しから目撃された「火の玉」が随筆の猿著聞集(さるちょもんじゅう)に記録されているのです。

火の玉空中を飛びし事」と。

北東より南西に向かって三尺(約90㎝)もある火の玉が飛び、それを浮世絵師の岳亭春信(がくていはるのぶ/1786~1868年)が目撃したというのです。

じつはその火の玉は、大気圏に突入した隕石。大きな火球だったのです。八王子付近に落ちたと推測され、八王子隕石と呼ばれています。突如、天空に現れた火の玉には江戸っ子もびっくり。市中で大騒ぎになりました。

八王子隕石は地表に落下した可能性が高いとされます。というのも、落下の際に砕けた隕石の破片を掘り起こしたり、拾った記録が残されているのです。

しかし、現在はそれら隕石の破片がどこにいったか不明で、まさに幻の隕石。もし発見できれば日本最大の隕石として大ニュースになるとのこと。

「平氏」と「源氏」の伝承が入り交じる兜町

ここで鎧橋の「鎧」の由来について少し。

二つの説があり、一つは朝廷に反旗を翻した平将門(たいらのまさかど/903~940年)が「兜」と「鎧」を当地に奉納したとする説。

もう一つは奥州討伐に向かう源頼義(みなもとのよりよし/義家の父/985~1078年))がここで暴風雨に合い、自分の鎧を海へ投げ入れ龍神の怒りを鎮めたとする説。

注目したいのは、付近に伝わる「平氏」と「源氏」の伝承がこれだけではないことです。

鎧橋
鎧橋から見た日本橋川の風景。

鎧橋を渡ると、兜町ですが、「兜」の由来は町内にあった兜塚だとされます。

兜塚は東征から凱旋した源義家(みなもとのよしいえ/1039~1106年)が自分の兜を埋めたとも、平将門を討ち取った藤原秀郷(ふじわらひでさと/891~958)が将門の兜を埋めたとも、平将門が自分の兜を埋めたとも伝わります。

兜塚はのちに源義家を祀る兜神社になりました。

また、江戸時代は、鎧の渡し付近に平将門を祀る鎧稲荷があったとのことで、兜神社にまつわる源義家の伝承と鎧稲荷にまつわる平将門の伝承が混ぜこぜに伝えられたのかもしれません。

証券界の守り神・兜神社

現在の兜神社はというと、東京証券取引所設立の際に兜神社(兜塚)と鎧稲荷を移転、合祀して創建され、東京証券取引所の目の前にあります。兜町だけでなく東京証券取引所、証券界の守り神

境内に入ると、社殿に向かって左手に兜岩と呼ばれる奇岩があります。この岩の由来は、源義家が東征の際に兜を岩にかけて戦勝祈願をしたとも、藤原秀郷が将門の兜を埋めたとも伝わります。

そして、この岩こそが兜塚ではないかとされるのです。

兜岩。

巨石や奇岩がなんらかの信仰の対象になることは古代からあることです。もしかすると将門以前の時代から兜岩が祀られていた、そんなことも考えられます。

それにしても、日本経済の中心地・兜町で、平氏の将門と源氏の義家がその存在を競い合っているようで面白い。

兜神社が守護する東京証券取引所にも目を向けてみましょう。その設立には渋沢栄一が関わっています。

渋沢と兜町の関係は深く、日本最古の銀行、第一国立銀行も兜町に設立していて、その独特な疑洋風建築は先に紹介した鎧橋の絵にも描かれていました。

第一国立銀行(1872年竣工)。

建物をよく見てください。「和」と「洋」が合わさった他国では見ることができない建築ではありませんか。

それもそのはずで、この建物は清水組の二代清水喜助(しみずきすけ)という、いわば大工の棟梁が、西洋建築を見様見真似で設計施工したのです。

清水組とは現在の清水建設。いまや売り上げが1兆円を超えるスーパーゼネコンですね。

また、渋沢栄一は自身の邸宅も明治21年(1888)に兜町に移しています。渋沢邸があったのは、現在、日証館が建つ場所で、日証館と兜神社は目と鼻の先。

渋沢栄一も当然、兜神社を知っていたでしょうし、参拝をしたのではないかと思います。

1928年竣工で現存する日証館。

江戸橋の斬新な船型ビルディング

兜町をあとに日本橋ダイヤビルディングへと向かいます。

昭和5年(1930)に完成したこのビルは、江戸橋の巨大船。かつては江戸橋倉庫ビルと呼ばれた、ビルそのものが船のデザインをした斬新な建物でした。

日本橋ダイヤビルディング。

現在は、5階建ての古いビルの外観を一部残して、その内側に新しい18階建てのビルが建築されています。

古いビルの屋上に展望室のような不思議な塔が見えます。かつてのビル全体の姿を模型で見ると、それが船の形をしていたことがよく分かります。

建設当時の日本橋ダイヤビルディング。

江戸橋倉庫ビルは三菱倉庫のビルで、昭和5年の建設当時には日本最初のトランクルームが設置されました。

これは関東大震災の教訓を活かした当時最先端の倉庫建築で、日本橋がすぐそばという交通の要所にあり、水陸両方の便を兼ね備えた倉庫だったというわけです。

散歩の際は日本橋ダイヤビルディング1階の江戸橋歴史展示ギャラリーにぜひお立ち寄りを。日本橋の水運の歴史を学ぶことができますよ。

三菱倉庫・江戸橋歴史展示ギャラリー

【住所】東京都中央区日本橋1-19-1

【開館時間】月~土曜日(平日/7:30~19:30 土曜/7:30~13:30)

水天宮をスタートして江戸橋までの散歩道でした。現在は、どちらかというと人通りの少ない道々ですが、その歴史は深く、興味の尽きないコースではないでしょうか。

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