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江戸、明治の存在感ある名所がずらり。お茶の水から湯島散歩(前編)

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JR御茶ノ水駅茗渓通りニコライ堂太田姫稲荷神社椋の木聖橋湯島天神神田明神折り紙会館妻恋神社湯島天神美術茶房 篠

お茶の水とは変わった地名ですが、その由来は江戸時代に遡ります。

この土地にあった高林寺の庭から清水が湧き、それを徳川将軍家にお茶を淹れるための水として献上していたのです。

現在の街を見ると楽器店が多いことに気づきます。日本の音楽の歴史をたどると、1911年に日本最古のオーケストラ、東京フィルハーモニー交響楽団が結成され、1926年にはNHK交響楽団ができました。

楽器の需要が生まれるなか、1930年代にはジャズがブームに。ちょうどそのころ、今は老舗の下倉楽器石橋楽器谷口楽器などがお茶の水に開店して、いつしか楽器の街が形成されていきました。

JR御茶ノ水駅、御茶ノ水橋口前の楽器店。

時代ごとに変化する街の様相。それが幾重にも積み重なり、お茶の水の魅力となっているのかも。今回はJR御茶ノ水駅をスタートして湯島天神まで散歩してみましょう。

明治時代のお茶の水。ニコライ堂の存在感がスゴイ

これは明治44(1911)年ごろの古写真です。急な谷底を神田川が流れ、奥には御茶ノ水橋とニコライ堂が見えます。

『東京風景』<1911(明治44)年>(国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸時代、このあたりの神田川を仙台堀と呼びました。もともと川の両岸は地続きの台地で、神田川の流れを変えるための開削工事によって谷ができたのです。最初に開削を指揮したのは伊達政宗で、以後、仙台藩によって工事が進められました。

切り立った崖の谷はやがて「茗渓」と雅称で呼ばれる江戸の景勝地となります。現在はJR御茶ノ水駅聖橋口に面した通りを「茗渓通り」と呼んでいますね。

一方のニコライ堂が竣工したのは明治24(1891)年。日本ハリストス正教会の聖堂で正式名称は東京復活大聖堂。ニコライとはキリスト教の教派のひとつ「正教」を伝道するためにロシアからやってきた宣教師の名前です。

ビザンティン様式の特徴は大ドームをのせた建築。

この聖堂は日本における最初で最大のビザンティン様式の建築物で、明治以降のお茶の水のシンボリックな存在といってよいでしょう。

あまり知られていない話ですが、第二次世界大戦中の東京大空襲では、ニコライ堂に逃げ込んだことで命拾いをした人々がいました。教会だから焼夷弾を落とされないと考えたのでしょう。実際にニコライ堂は戦火を免れています。

「子どものころ、ここで命拾いをした」とニコライ堂を訪ねてくる方が今でもいらっしゃるそうです。

湯島聖堂は霊獣ワールド

次に聖橋(ひじりばし)へ。橋の袂に一本の椋(むく)の木があります。太田姫(おおたひめ)稲荷神社と関係の深い木で、その存在を忘れられたかのようにぽつんと佇みます。

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御神木のようですが周囲に神社はありません。

聖橋を渡ると右手に見えるのが湯島聖堂。聖橋とは湯島聖堂とニコライ堂の二つの聖堂を結ぶことからついた橋名です。

聖橋から神田川を見ると三路線が立体交差する。
夜の景色は近未来的にも見える。

湯島聖堂をぐるりと囲むのは築地塀(ついじべい)です。築地塀とは、江戸時代に造られた土塀で、土と瓦を交互に積み重ねて最上部に屋根瓦をふいたもの。

明治~昭和期の文豪・永井荷風は湯島聖堂南面の相生坂沿いの築地塀と神田川の流れを見て「市中の坂にして眺望の佳なるもの」と書き残しています。

湯島聖堂をぐるりと囲む築地塀は都内でも有数の長さ。

湯島聖堂の歴史についても知っておきたいところです。もともとは儒教を中心にした幕府の教育機関でしたが、時代にそぐわなくなり、寛政九年(1797)、松平定信が新しい教育機関として「昌平坂学問所」を設置しました。

それ以後、孔子廟(儒教の創始者、孔子を祀る霊廟)である大成殿を湯島聖堂と呼ぶようになり、孔子廟(湯島聖堂)とは分離した教育機関のほうを昌平坂学問所と呼びました。

大成殿から構内を下っていくと孔子像があります。これが大きい。なんと世界最大の孔子像だそうです。

大成殿では屋根の上に珍しい霊獣の姿があります。しゃちほこ君は「鬼犾頭(きぎんとう)」で、犬のようにも見えるのは「鬼龍子(きりゅうし)」。魔よけと考えてよいでしょう。

漆黒の大成殿は伊東忠太(1867~1954年)による建築です。

伊東忠太は築地本願寺の建築でも知られますが、大の霊獣好きな人でした。大成殿以外の建物にも霊獣の姿を確認できますので、ゆっくりじっくり構内を探してみてください。もちろん、築地本願寺にも様々な霊獣がいますよ。

大成殿

江戸総鎮守の神田明神は平将門を祀る

湯島聖堂の北側には神田明神があります。徳川家康が関ヶ原の戦いを前に戦勝祈願をした神社で、江戸の鬼門を守護する江戸の総鎮守でもありました。

神田明神の随身門。

神田明神の鳥居の左手には明神甘酒で有名な「天野屋」。こちらの甘酒は店の地下6mにある土室(つちむろ/土中に掘った空間で年間を通して温度、湿度の変化が少なく良質の麹ができる)でつくられた麹をもとにしていることが特徴です。

天野屋

神田明神については別の機会に詳しく書きたいと思いますが、ご祭神が平将門公であることを知っておくといいかも。平将門の乱(939年)で坂東(関東地方の古名と考えてください)を国司から解放しようとしました。

当時は、朝廷から派遣された国司の搾取に人々は苦しめられていたのですね。ですから、関東での平将門は英雄。朝廷側から見ると朝敵になります。

さて、次は妻恋神社へ向かいましょう。後編に続きます。

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