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水天宮から江戸橋へ。水天宮と小網神社の歴史、兜神社の伝承、江戸橋の「巨大船型ビル」(前編)

Trivia おすすめコース

水天宮(安産祈願の神様)~小網神社(強運をもたらす神様)~鎧橋(江戸時代の火の玉目撃談)~日証館(渋沢栄一の旧居跡)~兜神社(藤原義家と平将門の伝承)~東京証券取引所~日本橋ダイヤビルディング(船型のビル)~江戸橋

水天宮から江戸橋への散歩道。日本橋蛎殻町、日本橋小網町と地名に「水」を感じる町を歩きます。このあたりはかつて海が近かった。その名残でしょうか。

見どころは兜町界隈。平将門や源義家の伝承、江戸を騒がせた火の玉、渋沢栄一の足跡など興味深い歴史の数々に驚きます。何も知らずに歩けば地味に見える街。でも、そこに横たわる歴史は面白い。

東京で安産祈願といえば水天宮

東京の水天宮は、ほぼ人形町エリアといってもよい日本橋蛎殻(かきがら)町に鎮座します。

水天宮。現在の社殿は平成28年に完成したもの。

人形町とは江戸時代、元吉原(浅草北の千束村に移転する前の吉原遊郭)や江戸歌舞伎の猿若座(さるわかざ)、人形浄瑠璃の芝居小屋などで賑わい、人形師たちが暮らした町です。

人形町散歩はコチラの記事をどうぞ

水天宮はもともと芝赤羽橋の有馬家上屋敷内にありましたが、明治4年(1871)に有馬家の移転とともに赤坂へ、そして明治5年(1872)、現在地である日本橋蛎殻町に遷座しました。

有馬家といえば久留米藩(現在の福岡県久留米市)の藩主。そして、久留米といえば水天宮の総本宮。

江戸の大名屋敷ではよくあることですが、有馬の殿様は江戸の上屋敷内に地元の大切な神様を分霊して祀っていたのです。つまり、東京の水天宮とは有馬家の屋敷神が起源

有馬家が拝む水天宮の噂は庶民にも広がりました。しかし、そこは大名の屋敷です。誰もが参拝できるものではありません。

ところが、有馬家は懐が深かった。毎月5日に屋敷を開放して、江戸っ子たちの参拝を可能にしたのです。

江戸からはるか遠く、九州は久留米の霊験ある神様が、江戸の庶民でも参拝できるようになったと、それはたいそう喜ばれました。有馬家の水天宮は「情け有馬の水天宮」と呼ばれ、江戸で人気の神社となります。

もちろん有馬家には参拝者からのお金が集まるメリットがあったことでしょう。

『東都名所 芝赤羽之図』広重(国立国会図書館デジタルコレクションより)

広重の浮世絵には久留米藩江戸上屋敷(左側に描かれた木々の茂る一帯)が描かれています。高い塔が見えますが、これは火の見櫓。

久留米藩の屋敷は徳川家の霊廟である芝・増上寺に近いことから、有馬家は増上寺を火事から守る役目を任されていました。ですから火の見櫓も高く、「湯も水も火の見も有馬の名が高し」といわれました。

「湯」というのは、有馬家のルーツが現在の神戸市にある有馬温泉の一帯にあることから。「水」とは水天宮を指しています。

安産祈願はなぜ水天宮? なぜ戌の日?

安産祈願と聞いて、まず思い浮かぶのが水天宮です。

特に戌の日は列をなす若い夫婦の数に驚くほど賑わいます。

安産のご利益と水天宮が結びつく理由は諸説ありますが、そもそも「水天」は仏教の天部(護法神)の一人でした。

それが日本に伝来すると、天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)と同一視されるようになります。

いわゆる「神仏習合」で、大陸から伝来した仏を日本古来の神様と結び付けていくのですね。

さらに、これも日本人らしい発想ですが、「みくまり」という発音は「みこもり(御子守り)」に通じることから、水天は安産、子育ての神になったのではないかと。

一方で、戌(犬)はお産が軽く多産であることから古来より「安産の守り神」でした。つまり、戌の日に水天宮で安産祈願をすることは二重の願掛けでもあったのです。

強運をもたらす小網神社の神徳とは

ところで、水天宮が鎮座する日本橋蛎殻町について。

蛎殻町と聞くと、牡蠣(かき)の殻を想像しませんか?

あながち間違ってはいません。古い地名ですので、確かな由来は不明ですが、昔は牡蠣殻の堆積する浜辺だったと推測されています。

次に訪れる小網(こあみ)神社でも、小網という地名は「水」を連想させますね。江戸時代は、将軍へ白魚を献上する漁師たちが小網町に暮らし、一丁目の町角に網を一張干しする風習があったそう。それが町名の由来になったとのことです。

左側が小網町の鎧河岸。立ち並ぶ蔵が遠近法で描かれている。『鎧の渡し小網町』広重(国立国会図書館デジタルコレクションより)

小網神社を訪れると、社殿と神楽殿が目を引きます。ともに昭和4年竣工の中央区有形文化財で、社殿の向拝(こうはい)に見える「昇り龍」と「降り龍」がとても力強い。

この龍は小網神社の神徳ともいえる強運厄除けのシンボルです。

じつは小網神社は関東大震災や東京大空襲でも被災しなかった強運神社なのです。さらに、太平洋戦争時、小網神社でお祓いを受け、授与されたお守りを身に着けた兵士は全員無事に帰還したという逸話もあります。

小網神社
小網神社神楽殿

「強運」とはなんともありがたいご利益。どんな願いをも叶えてくれそうです。ぜひご参拝を。

小網神社からは鎧橋(よろいばし)を目指します。この続きは後編へ

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