Trivia!
日本橋本町には製薬会社の本社がたくさんある
徳川家康が最初に町づくりを始めたのが日本橋本町だった
「日本橋室町に鎮座する神社の歴史が深い(福徳神社編)」についてはコチラ
日本橋室町に鎮座する「芽吹稲荷」こと福徳神社。その社殿と隣接して広がる森が「福徳の森」です。この森の一角に小さなお社が祀られています。それが薬祖(やくそ)神社です。
日本橋の歴史と深いつながりを持つこの神社の存在に気づく人はあまりいません。
薬祖神社の玉垣は誰もが知る製薬会社だらけ
薬祖神社の玉垣に注目してください。
中外製薬株式会社、持田製薬株式会社、塩野義製薬株式会社、エーザイ株式会社…と名だたる製薬会社によって奉納されていることに気づきます。
薬祖神社の神様は大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
この二神は医薬の祖となる神とされますから、薬祖神社の玉垣に大手製薬会社が名を連ねることに不思議はありません。
でも、なぜ福徳の森の一角に薬祖神社があるのでしょうか。
江戸の町づくりは「本町」から始まる
江戸時代後期の江戸切絵図で「福徳の森」の現在地を確認すると、当時の福徳稲荷と現在の福徳神社が鎮座する福徳の森の位置が異なることが分かります。
江戸切絵図には記されていませんが、現在の福徳の森のある場所は江戸時代後期に「本町三丁目裏河岸」と呼ばれる地域でした。
ここで日本橋本町の歴史ついて少しお話します。
江戸の中心ともいえる日本橋にあって「本町」とはとても意味の深い町名で、それは400年以上も昔の江戸の歴史と関係があります。
天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸に入府したときのこと。家康は太田道灌によって築かれ、荒廃していた江戸城の大改築を始めるとともに江戸に町をつくる「町割」に着手しました。
そして、家康の町割で最初に開かれた町が日本橋本町だったのです。江戸の「おおもとの町」という意味で「本町」と名付けられたのですね。
さらに家康は全国から集まる商工業者たちを職種別に同じ地域に住まわせるお触れを出します。薬種商たちが住む地域は日本橋本町三丁目付近。こうして日本橋本町は「薬種商の町」として発展していくのです。
そのため、現在でも日本橋本町三丁目の界隈には大小さまざまな製薬会社の本社があり、武田薬品工業株式会社やアステラス製薬、第一三共株式会社なども本社所在地は日本橋本町です。
無病息災と病気平癒の祈願に訪れたい福徳の森の薬祖神社
先にふれましたが、医薬の祖となる神は大己貴命と少彦名命です。日本橋本町の薬業界では特にこの二柱を祭神とする水戸の大洗磯崎(いそさき)神社、酒列磯前(さかつらいそさき)神社や東京上野の五條天神社に参詣しました。
明治42年(1908)には東京薬種貿易商同組合(現公益社団法人東京薬事協会)が東京上野の五條天神社から薬祖神の御霊を迎え、大祭を執行するようになります。それはとても賑わいのある祭りとなったそうです。
そして、昭和4年(1929)に事務所建物の屋上に薬祖神社を造営し、昭和58年(1983)に昭和薬貿ビル屋上に二代目の社殿が造営されます。
さらに平成28年(2016)9月、それまでのビル屋上から福徳の森の現在地に神社を遷座して、今日の薬祖神社の姿を見ることができるようになりました。
薬祖神社の玉垣から日本橋本町の意外な歴史が見えてきますね。福徳の森に鎮座する医薬の神様。無病健康と病気平癒の祈願にはこの上ないご利益を授けてくださるかもしれません。
参考資料「薬祖神社の御由緒」