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怪談か悲話か。腹違いの恋の結末はいかに。阿三と新十郎の物語

Trivia!

五代目古今亭志ん生が「実話」と語る恋愛悲話は怪談物語

怪談とゆかりの神社は実在する於三稲荷神社だった

血のつながりを知らずして恋に落ちた阿三(おさん)と新十郎(しんじゅうろう)。

怪談『阿三(おさん)の森』です。昭和を代表する落語家・五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう/1890~1973年)は「この噺は実話」とあえて前置きをします。

しかし、物語の筋立てが江戸末期から明治期に活躍した三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう/1839~1900年)の『牡丹灯籠(ぼたんとうろう)』と似ているため、志ん生の言葉通り、これが実話かどうか、本当のところは分かりません。

確かなことは、深川は牡丹町に於三(おさん)稲荷神社という小さな社があること。そして、この神社と『阿三の森』との関係を志ん生が断言していることだけです。

※怪談『阿三の森』を物語として読みやすいようにまとめています。

生まれて間もない阿三を残し、両親は死んだ

物語は阿三の母の話から始まります。

深川蛤町の漁師・善兵衛夫婦の娘、お古乃(この)は本所の旗本、松岡家へ奉公に出ました。お古乃はたいへん美しい娘で、やがて、殿さんの手がついて身籠もります。

実家に戻り、阿三を産んだお古乃。しかし、産後の肥立ちが悪かったのか、悲しいことに死んでしまうのです。相次いで松岡の殿さんも死んでしまいます。

残された阿三は、お古乃の両親である善兵衛夫婦にとって掌中の珠。とてもかわいがり育てます。しかし、その生活は苦しく、困窮していました。

そこで、漁師をやめることを決断。亀戸の天神橋そばで「梅見だんご」という店を始めます。すると、この店が大変に繁盛したのです。

太鼓橋から見る亀戸天神。天神橋はこの神社の近くを流れる横十間川に架かる橋。

恋をした二人は腹違いの兄妹だった

さて、阿三が美しく成長した17歳のこと。  

ある日、役者と見紛うほどに顔立ちの整った若い旗本が梅見だんごにやってきます。その旗本の名は阿部新十郎

若く美しい阿三と新十郎。ひと目で惹かれ合います。二人が逢瀬を重ねる仲になるまでに時間はかかりませんでした。

しかし、そこには悲しい因縁が。

新十郎は阿三の母、お古乃と関係したあの松岡家の三男だったのです。それが阿部家の養子となったことで阿部新十郎を名乗っていました。

阿三との結婚を約束するころ、新十郎は病に臥せる実母からある事実を告げられます。

お前には腹違いの妹がいる。聞くところによれば、亀戸は梅見だんごの娘だよ。面倒を見ておやり。

江戸時代、亀戸には梅屋敷と呼ばれる屋敷があり、臥龍梅(がりゅうばい)と名付けられた一株が有名だった。亀戸天神もまた梅の名所として知られた。 
『東都三十六景 亀戸梅やしき』広重(国立国会図書館デジタルコレクション)

その言葉を聞いた新十郎は驚き嘆きます。恋をした相手が我が妹だったとは。実の妹と畜生道に落ちた関係になっていたとは。

それ以来、新十郎は阿三の前からぷっつりと姿を消します。

何が起きたか分からず途方に暮れるのは阿三です。

新十郎への思いは募り、会いたいと恋焦がれるうちに病に臥します。

そして、衰弱し、死ぬのです。

新十郎が阿三の死を知ったのは、実母の忌中のことでした。

新十郎への想いが阿三を死霊にする

お盆の夜のこと。

深夜の庭先で下駄を鳴らして歩く女性がいます。

これは誰かと新十郎が外を覗くと、なんとそこにいたのは阿三でした。阿三は言います。私は死んでなどいない、新十郎を心配した者が阿三は死んだと嘘を教えたのだと。

そして二人は再び関係を持つのです。

しかし、この家の婆は夜ごと訪ねてくる女の存在を不審に思います。

そこで、女と新十郎の様子を覗き見ると、新十郎が話しているのはなんと煙のごとく実体のない相手でした。

これはまずいと相談を受けたのが法恩寺の和尚で、さっそく新十郎に会うと、その顔に死相が出ていることを見抜きます。

お主には死霊が憑いている」と新十郎に言い聞かせると、部屋の入口に札を貼らせました。

その夜から阿三はピタリと現れることがなくなり、新十郎の心身は回復していったのです。

阿三の怨念は蛇に姿を変えて現れた

やがて、新十郎に新しい縁が結ばれ、花嫁を迎えることになります。

その婚礼の夜、不思議なことが起きました。新十郎と花嫁の間にトグロを巻いた蛇が現れたのです。

驚く新十郎は、とっさに銀のキセルを手にすると、蛇を叩き殺しました。確かに殺したはずです。

しかし、その蛇は翌日の夜もまた現れるのです。何度殺しても毎夜現れるように。

於三稲荷神社境内の石灯籠。

これはおかしいと再び法恩寺の和尚に相談すると、それは阿三の怨念に違いないと、和尚は自分の衣を渡し、現れた蛇をこれに包むように言います。

そして、雀の森という古木の森に埋め、その上に祠を建てるように指示するのです。

新十郎は和尚に言われた通りに事を進めます。こうして雀の森に阿三の祠ができました。

雀の森はやがて「阿三の森」と呼ばれるようになります。それはいつしか「お産の森」と転じて、安産祈願の於三稲荷と知られるようになりました。

於三稲荷は民家の敷地の一画の狭い空間にある。

一方で、新十郎が迎えた妻は、一年ほどで死んでしまいます。

これも阿三の怨念なのか。新十郎は出家して於三稲荷のそばに庵を結び、阿三の森を守る住職になったといいます。

この話に「蛇」が登場するからでしょうか、現在の於三稲荷を訪れると、その隣には古木弁財天の祠があります。弁財天の化身は白蛇です。

於三稲荷。
古木弁財天。

しかし、歴史的に見て、この神社のはっきりとした由緒は不明なところが多いのです。

於三稲荷は確かに実在します。 これは本当にあった話。何か確証があるのか、少なくとも志ん生はそのように語ります。

於三稲荷神社に近い!富岡八幡宮の大空武左衛門

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