Trivia!
巣鴨の西方寺は吉原遊女の投げ込み寺だった
招き猫の由来は「玉」という猫だった⁉
このコに会うためだけになんども巣鴨駅を下車しました。それほどに可愛い。どこの誰の猫なのか、今回のお話には西方寺と有名な二人の太夫が登場します。
土手の道哲と呼ばれた西方寺
現在は西巣鴨にある西方寺ですが、もともとは浅草聖天町にありました。
浅草聖天町は吉原遊郭に近く、江戸時代の西方寺は吉原遊女の投げ込み寺として知られ、文化・文政期(1804~30)に編纂された『新編武蔵風土記稿』によれば、西方寺の向かいには刑場があったと伝わります。
西方寺の別名は「土手の道哲」。江戸時代、吉原大門前には吉原土手(日本堤)と呼ばれる長い土手がありました。道哲という和尚が、その土手の上り口に小さな庵を結び、哀れに命を落とした遊女や罪人に念仏を唱えたといいます。
道哲、その和尚こそが西方寺を開基した人物なのです。
現在地が西巣鴨であるのは、大正4(1915)年に焼失し、昭和2(1927)年に移転したことによります。
二代目高尾太夫の墓前に座る猫
さて、西方寺へ。境内を抜けると墓地があります。墓地に入ったら左へ。西側の塀の近くをよく探すと、ひっそりと佇む二代目高尾太夫(1660年没)の墓が見つかります。その墓前には小さな猫の像。
江戸前期、吉原で「太夫」といえば最高位の遊女のことでした。二代目高尾太夫は万治年間(1658~61)にその名を見ることから万治高尾、また次の仙台藩主との関係から仙台高尾とも呼ばれます。
史実かどうかはさておき、二代目高尾太夫は仙台藩主の伊達綱宗(1640~1711)に隅田川で斬られて亡くなったとも伝わります。その墓前にいる猫ですから、高尾太夫と関係する猫のように思われがちですが、じつは違います。
もともと、このコは西方寺の門柱の上にいました。像が落下し破損したからだそうですが、いまは高尾太夫の墓前に安置されているのです。
玉と薄雲の悲しい物語
さて、もう一人の登場人物を。その名は薄雲太夫。吉原に「薄雲」を名乗った遊女は3人いたとされますが、今回の薄雲は信州出身で1700年に身請けされた女性です。二代目高尾太夫よりのちの元禄年間(1688~1704)の吉原遊女でした。
薄雲太夫は「玉」という猫を溺愛し、常に可愛がりました。
どれほどに愛情を傾けたか。玉のために緋縮緬(ひぢりめん)の首輪をこしらえ、純金の鈴を下げるほどでした。
食事も一緒に、揚屋(あげや/遊郭内で遊女を招いて遊興させる店)に行くときは禿(かむろ/遊女のそばで雑用をする童女)に玉を抱かせ、花魁道中の列に加えました。
薄雲を抱えていた三浦屋の主人は玉のことを怪しみます。もしや、この猫は薄雲にとりつこうとする魔物ではないか。
薄雲に玉を捨てるように何度も勧告するのですが、薄雲は聞き入れません。
当時の花魁は奉公人とはいえ、大名に接する立場で、素養も格式も主人でさえ及ばない面があったといいます。
そんなある日、悲劇がおきます。
薄雲が厠に入ろうとしたときのことでした。玉があとをついて離れず、さすがの薄雲も玉を追い返そうとします。しかし、着物の裾に纏わりつき引き離すことができません。
それを見た主人は、いよいよ猫が魔物の本性を現したと、あろうことか玉の首を刀で刎ねるのです。
刎ねられた玉の首は宙を舞うと、驚くことが起きました。その首は物陰から薄雲を狙っていた大蛇をめがけて飛んで、喉に食いつくと咬み殺したのです。
玉はその最期に主人の命を救いました。
薄雲はたいそう悲しみ、西方寺にこの忠猫を手厚く葬ると、一尺ほどの大きさの猫塚を建てたといいます。
しかし、薄雲の悲しみは止まりません。
周囲の人々は心配します。そこで、見かねたなじみの商人が、長崎から取り寄せた伽羅(きゃら)の名木で木彫りの猫の像をつくり、薄雲に贈りました。すると薄雲はたいそう喜び、その猫の像をとても大切にしたそうです。
猫の像といえば招き猫ですが、薄雲に贈られた木彫りの猫が招き猫の原型となったとする説もあります(招き猫の由来には諸説あります)。
薄雲の死後(薄雲の墓は品川区の妙蓮寺にある)、その猫の像は西方寺に納められましたが、残念なことに火災で焼失します。
西方寺の猫像はかつて手招きをしていた⁉
ここで二代目高尾太夫の墓前にいる猫の像をもう一度見ましょう。手が欠けてはいるものの、手招きしているように見えないでしょうか。
実は以前、この猫像が門柱の上にあったときは、左手があったのです。手招きをするような仕草をしていました。
西方寺にはかつて猫塚があり、薄雲太夫ゆかりの木彫りの猫像がありました。このコはその歴史と、薄雲と西方寺の関わりを伝える猫として西巣鴨に移転後、門柱に置かれたのでしょう。
現在、高尾太夫の墓と道哲の墓標、そしてこのコが同じ場所にあるのは、西方寺と吉原の歴史に深い関係があったことを伝えるためかもしれません。
主な参考資料
『江戸から東京へ 第2編』/矢田插雲 著/金桜堂書店