歴史と文化のトリビア

東京三大たい焼き! わかば、柳屋、浪花家総本店

誰が呼んだか、東京三大たい焼き。四谷のわかば(昭和28年創業)、人形町の柳屋(大正5年創業)、麻布十番の浪花家総本店(明治42年創業)です。

尻尾までしっかり餡が詰まった「わかば」。カリっとした皮と素朴な美味さの餡がほどよく調和する柳屋。焦げの香りが餡の甘味とともに口中に広がる浪花家総本店。

その人気の秘密をたい焼きの歴史とともに探ってみましょう。

たい焼きにある天然ものと養殖もの

たい焼きの昔ながらの製法は、職人が焼き型を手に一匹ずつ丁寧に焼き上げるものでした。焼き型の重さはおよそ2キロ。とても手のかかる製法で、そうやって手間暇かけて焼き上げるたい焼きを天然ものといいます。

でも、これは採算性が悪く、何より大変。焼き型がいくつもある鉄板を用いて焼いたほうが合理的なわけです。養殖ものとは、一度に複数匹を焼く製法を呼ぶようになりました。

三大たい焼きに共通するのは、どの店のたい焼きも「天然物」だということ。それは歴代店主が守る店の歴史ともいえるでしょう。

高級たい焼。人形町の柳屋。
柳屋のたい焼き。素朴な風味がくせになります。

亀焼き、軍艦焼きといろいろあった〇〇焼き。

諸説ありますが『たべもの起源事典(東京堂出版)』によると、たい焼きの発祥は浪花家総本店とされています。

浪花家総本店の創業は明治42(1909)年のこと。最初は今川焼きを始めたものの売れず、亀型の亀焼きにしてもダメで、鯛型のたい焼きにしたら売れたそうです。

麻布十番の浪花家総本店。
浪花家総本店のたい焼き。皮の焦げ目が強い。

この話はとても興味深く、当時はいろんな〇〇焼きがあったことがうかがえます。

明治時代に「おもちゃ博士」と呼ばれた清水清風という人がいます。清水は江戸時代からの様々な職業を『世渡風俗圖會』で絵とともに紹介しました。その中には人形焼きのほかに「軍艦焼き」というものがあります。

その名の通り軍艦型に焼くわけですが、日清戦争勝利が明治28年、日露戦争勝利が明治38年のこと。鋳物技術の発展や世相の反映があったと想像されます。

こちらは人形焼き。神戸名物とあります。
軍艦焼き。小さな軍艦型の焼き菓子が見えますね。

安藤鶴夫の「たい焼き論争」

たい焼きのその後の歴史を見るとき、戦後のあるエピソードを外すことができません。俗に言う「たい焼き論争」です。

四谷わかばが創業した昭和28(1953)年のこと。演劇評論家の安藤鶴夫が読売新聞に「四谷のわかばは尻尾まで餡が入っていた。主人の仕事に『人間の誠実さ』を味わった」という内容のコラムを書きました。

これに嚙みついたのが映画監督の山本嘉二郎。「尻尾は箸休めみたいなものだ」と反論して、「尻尾に餡子」の是非が世を巻き込んでの大論争となるのです。

どちらでもいい論争なのですが、山本嘉二郎は浪花家総本店を贔屓にしましたから、譲れぬものがあったのかもしれません。

戦後、GHQの解体が1952年のことでした。日本がまだ貧しいころの話です。

四谷のわかば。
わかばのたい焼き。尻尾に餡を入れることを社訓としている。

「およげ!たいやきくん」のモデルが浪花家総本店⁉

若い世代の方にはピンとこないかもしれませんが、日本の歴代シングル曲売り上げ一位を不動で守るのは、子門真人が歌った「およげ!たいやきくん」です。

実はこの歌、浪花家総本店の三代目店主をモデルにしたといわれます。レコードジャケットに描かれたコックハットのおじさんが、三代目店主が店に立つときの恰好とそっくりなのです。

ところで、この歌、発売後にレコード会社と国税庁の間でひと悶着ありました。当時、童謡ジャンルの歌は物品税が非課税で「およげ!たいやきくん」は童謡として発売されます。

ところが、空前の売れ行きです。税金を徴収したいのは国税庁。引くに引けぬ攻防の末、結局は非課税の童謡という扱いに落ち着いてレコード会社もほっと胸をなでおろします。

それなのに子門真人がこのレコードで手にしたお金はたったの5万円。レコード会社が歌を買い取る契約だったのですね……。残念。

たい焼きにまつわるあれこれでした。

<店舗情報>
・たいやき わかば   
【住所】東京都新宿区若葉1-10
【電話】03-3351-4396
【定休日】日曜日

・高級鯛焼本舗 柳屋
【住所】東京都中央区日本橋人形町2-11-3
【電話】03-3666-9901
【定休日】日曜日、祝日

・浪花家総本店
【住所】東京都港区麻布十番1-8-14
【電話】03-3583-4975
【定休日】火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)、第三水曜日

※営業日等、各店舗の情報は常に変更になる可能性があります。事前にご確認の上、お出かけください。

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