Trivia!
「鬼滅の刃」遊郭編に描かれた花魁道中。その足さばきは勝山太夫が始めたとされる「外八文字」
吉原遊郭のトップスターだった勝山太夫は男装をしていた
江戸という時代は天下泰平の世。戦乱がなくなったことで多様な文化が豊かに花開きました。江戸の美意識を象徴する「粋(いき)」とは「意気」が転じたものだといいます。
今回は「男装の麗人」として一世を風靡した勝山太夫(かつやまたゆう)のお話です。
「鬼滅の刃」遊郭編に描かれた外八文字
もはや社会現象となった大人気アニメ「鬼滅の刃」。その遊郭編・第二話に大正時代の設定で吉原遊郭での花魁(おいらん)道中が描かれます。
花魁道中とは吉原遊女のなかで位の高い「花魁」が、馴染みの客を迎えに揚屋(客が高級遊女を呼んで遊興した店)や引手茶屋(吉原で揚屋が消滅したのち、客が芸者らを呼んで遊んだ店)まで出向くこと。
アニメで注目したいのはその歩き方です。
黒塗り三本歯の高下駄を履いた花魁は、内側に向けたつま先を外側へ開き、八の字を描くように歩きます。その際、下駄の裏を周囲に見せるように歩くのが吉原遊郭で好まれた「外八文字」と呼ばれる足さばき。
難しい歩き方ですが、動作が大きく妖艶に見えます。一説では、吉原遊郭の花魁道中はもともと下駄の裏を見せずに歩く「内八文字」だったといいます。
ところが、江戸初期の吉原遊女、勝山太夫はその伝統をくつがえし、吉原遊郭の歴史上で初めて「外八文字」で歩いたというのです。
大胆で独創的な才覚を持ち合わせた女性だったのでしょう。勝山は男性だけでなく女性からも熱狂的に支持された吉原のトップスターでした。
丹前風呂の湯女だった勝山
勝山はもともと湯女(ゆな)と呼ばれる風呂屋抱えの下層遊女で、紀伊国屋市兵衛の店にいたとされます。
「丹前風呂」とは現在の神田淡路町付近に堀丹後守(ほりたんごのかみ)の屋敷があり、その向かい側に湯女風呂が何軒か集まっていたことに由来します。
彼女の生い立ちははっきりとしません。
当時、幕府公認の遊郭は現在の人形町交差点付近にあった元吉原(1657年、明暦の大火後に現在地の千束に移転し新吉原となる)でしたが、寛永17年(1640)に夜間営業が禁止されたことで、吉原よりも安くて遅くまで遊べる非合法の湯女風呂に人気が集まります。
湯女とは客の髪や体を洗い、芸を披露し、春をひさいで客をもてなす女性たちのこと。
勝山はそのような岡場所(幕府に認められていない私娼窟)から吉原一の太夫へと上り詰めたのです。
勝山の才気、人柄、その服装
江戸中期の浮世草紙作者である井原西鶴(1642~1693年)は『好色一代男』で勝山の人柄を「江戸にて丹後殿前に風呂ありしとき、勝山と言える女、優れて、情けも深く…」と書きました。
芸に秀で美しく、その心は情け深い。
三代目歌川豊國が描いた『古今名婦伝』の「丹前風呂勝山」には
「物詣(参詣)など外に出るときは腰巻き羽織に木造の両刀を差して玉縁(たまぶち)の網笠をかぶった。当時の役者はその姿を真似し、勝山のいる丹前風呂は見物客で賑わった」と記され、勝山が侍風の男装をしていたことがわかります。
そんな勝山に江戸っ子は男も女も夢中になりました。丹前風呂の無名の湯女が、才気、人柄、その服装でその名を世に知らしめたのです。
丹前、勝山髷。勝山が世に広めた文化とは
勝山が考案し、流行させた文化は数知れません。
特に知られるのは丹前(たんぜん)と勝山髷(まげ)でしょうか。
丹前は江戸で「どてら」と呼ばれた着物。綿を厚く入れた広袖で、勝山が考案したとも、うまく着崩したともいわれますが、いずれにしても彼女を起点に贔屓客の男性に広まり、勝山を真似た伊達姿が丹前風と呼ばれるようになりました。
勝山髷とは束ねた下げ髪を前方に曲げて輪を作る髪形で、既婚女性の髪形としてのちに広まる丸髷の元になるものです。これは吉原時代の勝山が創出したとされます。
そこは実力の世界。吉原トップとなった勝山太夫
庶民に人気があったとしても、丹前風呂の湯女にすぎなかった勝山がなぜ吉原で花魁となれたのでしょうか。
その背景には幕府公認でありながら湯女風呂に客を奪われた吉原遊郭の窮状があります。湯女風呂を取り締まってほしい、そう何度も幕府に訴えたのです。
その結果、丹前風呂は取り潰しになり、勝山は吉原遊郭へ引き渡されます。
当時、私娼や岡場所あがりの遊女は、吉原では扱いが悪かったといいます。しかし、そこは実力の世界。あれよという間に吉原トップの太夫にまで上り詰めるのです。
湯女の時代と変わらず、吉原でも勝山風を貫き、その名は諸大名に知れ渡るほどでした。
ところで、彼女の人生を考えるとき、なぜ男装をしたのかという点を考えずにはいられません。
確かなことは、勝山が男性優位の江戸を独創的に生きた稀有な女性だったということ。それは不条理な世を自らの力で渡らんとする心意気だったのかもしれません。
勝山には身請け話や色恋話がとんとなく、年季が明けてからの消息は分かりません。
きっと彼女が望んだ幸せを手に入れたのではないでしょうか。そう想像したいものです。
参考資料
『勝山太夫、ごろうぜよ』車浮代 白泉社
『好色一代男』井原西鶴
『吉原名花勝山太夫』玉田玉秀斎 岡本増進堂