散歩コース

圧巻の迎賓館から豊川稲荷、日枝神社へ~四谷・赤坂見附・永田町散歩が名所豊富で面白い~(後編)

Trivia おすすめコース

JR四ツ谷駅~四谷門の石垣~迎賓館~紀伊国坂~紀尾井坂~ホテルニューオータニ~清水谷公園~弁慶橋~豊川稲荷東京別院~美喜井稲荷~日枝神社~旧満ん願ん跡~国会議事堂

前編はコチラ

名所旧跡が豊富で景観の変化が楽しい散歩道。意外な歴史や発見が随所にあります。後編では狐、猫、猿の動物ゆかりの神社仏閣から永田町へと歩きます。

弁慶堀は桜の季節に訪れたい

清水谷公園をあとに弁慶橋を渡ります。弁慶と聞くとあの弁慶?と思いがちですが、その由来は江戸時代にこの橋を架けた弁慶小左衛門にちなむそう。

もともとは不忍池へと注いだ愛染川に架かる橋でした。明治期に川が埋められると橋は撤去されます。しかし美しい橋だったので失うには惜しい。弁慶橋の廃材を利用して現在地に架橋されたのが明治22年(1889)のこと。

その後、橋の下の堀を弁慶堀と呼ぶようになりました。この弁慶堀は桜の季節の穴場的スポット。夜桜がライトアップされ、水面に映るピンクが美しいこと。

豊川稲荷は曹洞宗のお寺

続いて豊川稲荷東京別院へ。境内には数えきれないほどのお狐様がいますが、ここでひとつ豊川稲荷について整理をします。

稲荷と聞いて思い浮かべるのは稲荷神社でしょう。そして全国にある稲荷神社の総本宮が千本鳥居で有名な京都の伏見稲荷大社です。

しかし、豊川稲荷東京別院は曹洞宗のお寺。

もともとは時代劇でおなじみの江戸の名奉行・大岡越前守忠相(おおおか えちぜんのかみ ただすけ)が自分の屋敷に豊川稲荷(愛知県豊川市)を勧請して屋敷稲荷として祀ったのが始まり。

豊川稲荷では豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を祀ります。

吒枳尼天は起源も歴史も複雑なのですが、インドの古い女神でインド仏教に取り入れられ、中国を経由して日本に伝わったとされます。豊川稲荷では吒枳尼天を吒枳尼眞天と呼んでいます。

豊川稲荷の正式な寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。豐川吒枳尼眞天が稲穂をかつぎ、白い狐に跨っていることから「豊川稲荷」という通称が広まり、全国的に定着した名称となりました。

お金が増える融通稲荷尊天と至高のいなり寿司「家元屋」

境内を歩くと狐像だらけです。参拝したなら、ぜひ訪れてほしいところが二カ所。一つは境内にある融通稲荷尊天

黄色い封筒が積まれ、その中にはピカピカの十円玉が入っています。それが融通銭で、財布のなかに入れておくとお金が増えるご利益が。一年後、願いが叶ったならお礼としてお気持ちのお金を足してお返しするのです。

もう一カ所が、いなり寿司家元屋。明治3年(1870)創業の店で、ただ一言、美味しい。いなり寿司でジューシーと表現できるのもこの店ならでは。

醤油を使った絶妙な甘さのつゆがお揚げにしみて、控えめな味わいの酢飯を丸ごと包み、口のなかに香ばしい味わいが広がります。有名人の贔屓も多い。

境内のベンチでいなり寿司をいただいたら、次に美喜井稲荷へ向かいましょう。こちらの稲荷は「稲荷」なのに猫を祀る不思議な稲荷。猫好き界隈では有名ですが、境内の不思議な空間をぜひご自身の目で見てほしい。

詳しくは美喜井稲荷をまとめた次の記事をどうぞ。

あわせて読みたい

幸楽、ニューラテンクオーター、ホテルニュージャパン

赤坂見附界隈の繁華街を通り抜けて外堀通りに出るとひときわ目立つ大きなビルがプルデンシャルタワーです。

じつはこのビル、昭和のいくつかの事件の跡地に建っています。戦前は日本料亭「幸楽」があり、昭和11年(1936)のクーデーター・二・二六事件で青年将校らに占拠されたことで知られます。

幸楽は第二次大戦中にB29の墜落により焼失します。戦後はホテルニュージャパンがここに建ち、その敷地の地下には「ニューラテンクォーター」というナイトクラブがありました。

そのナイトクラブで刺傷事件が起きます。刺されたのがあの力道山。さらにホテルニュージャパンは1982年に死者33人の大火災を起こし廃業します。

日枝神社は江戸城の裏鬼門を守護した

日枝神社へ。江戸の三大祭りといえば「神田祭(神田明神)」と「深川八幡祭り(富岡八幡宮)」、そして「山王祭(日枝神社)」です。つまり、日枝神社は格式ある江戸の神社で、江戸城の裏鬼門(南西)を守護する神社(鬼門を守護するのは神田明神)とされ「山王さま」と呼ばれます。

山王とは京都の日吉大社で祀られる神のことで比叡山に鎮まる神のこと。古くは日吉を「ひえ(日枝・比叡)」と呼びました。

比叡山には延暦寺があり、京都の鬼門に位置して都を守護する山とされます。

日枝神社の鳥居を見てください。独特な形状をしています。鳥居の上に山が乗るようにも見えます。これを山王鳥居といって、日吉大社のシンボルでもあるのです。日吉大社の神使は猿ですから日枝神社にも神猿(まさる)のお姿が。

永田町でひときわ目立つ「満ん賀ん」の建物

永田町を歩くと、総理官邸にも近い場所で一軒の酒屋が見つかります。天竹(てんたけ)という酒店で官公庁、政治家のご用達。永田町に唯一の酒屋だそうです。

その隣には大きな料亭風の建物。この建物はもともと「満ん賀ん」という料亭で、かつての竹下派が贔屓にしました。

「満ん賀ん」が1998年に閉店すると、建物を改装して「永田町黒澤」ができました。映画監督の黒澤明の親族が経営する蕎麦と日本料理の店でしたが、これもコロナ禍で閉店。惜しいですね。

そして、永田町の中心ともいうべき建物が国会議事堂ですね。現在の建物は昭和11年(1936)に帝国議会議事堂として建てられたもの。先の二・二六事件(1936年)はその完成間近の出来事でした。

四谷、紀尾井町、赤坂見附、永田町と街の様子が次々に変化して時間を忘れます。今回のコースはこれにてゴールといたしましょう。

-散歩コース
-, , , ,